人生の最後について考えた。

親族の葬儀がありました。享年67歳。まだ若い。残された家族。病気や介護状態であればある程度の覚悟ができますが今回の場合は予期せぬものでした。

人生における到達点を考えたときに故人は普通の人でした。特記すべき人生ではありません。仕事における功績もなければ財力があるわけでもありません。しかし愛すべき家族がおりました。

ぼくも40歳になり今後について考えたタイミングであったので書いておきたいと思います。

富豪である必要は無いが、やっぱりお金はあった方が良い

金額については家族構成や資産の状態によって変わってきます。緊急事態に空いた穴を塞げる分は必要ですね。贅沢ではなくとも衣食住や教育に関する部分は出せるようにしておきたい。

車や住宅の修繕であったり、病気怪我における備え的なものです。

浪費消費投資の考えでも良いですね。リスクとリターンでも良いです。

ダメージはありますがMacBookが壊れたりすれば即決して出せます。それが自分の現在において多いのか少ないのか定期的に見直していく必要がありますね。

仕事は無理する必要ない

10年くらい前から変わっていませんが仕事において無理する必要性を感じておりません。

出世をしたり高年収が必要であれば目指せば良い。しかしそれに伴うストレスや苦労は計り知れません。近くの人と協力をして笑って生活する方があっていると思うのです。

「限界からのあと一歩が成長につながる」とか「学びと成長が人生を豊かにする」的な意見もありますがぼくとは違うと改めて感じました。

迷惑をかけないように努力もするし結果も出すけどそれ以上は目指さないスタンスです。

好きなことはどんどんやった方が良い

極論になりますが、酒好きが肝臓を悪化させたりタバコ好きが肺を悪くする。食生活の乱れで生活習慣病になるのも全てが悪いとは思いません。

人生を豊かにしていて満足しているのであれば個人の自由になります。

大人というのは自分の人生を自分で決めるのです。どのような仕事をするのか、どのような人と生活するのか。どのような物を使うのか。

ぼくはゲームとサッカーは今後の人生にも必要です。バイクもできる限り乗りたい。

本日のまとめ

人の最後はみんな同じ。

正解の無い問題に対して自分の意見で生きていくのが大事になりますね。